この前見ていたドラマの中で、カフェで話しをしてる様子が映っているんだけどどうしてなのか背景にある吊り棚の黒いパイプがひどく気になった。
2回目に見たところで(好きなドラマは2回見ちゃう)はっと思い出した。
それは天王洲にあるカフェでもうだいぶ前になるけれど一度だけ行ったことがある。
ああ、自分すごい。
それくらいのこといくらでもあるでしょ、って思うひとはそれこそいくらでもいるだろうけれど昨日食べたご飯が何だったのか忘れちゃうくらいの自分にとってそれはちょっと驚くべきコトなのだ。
いい思い出、悪い思い出、楽しい記憶、つまらない記憶、人の名前や、ものの名前、場所や時間、あらゆる雑多な事柄をインプットしてそして忘れてきたこの長い長い時間。
その中から黒いパイプの記憶をよっこらしょと取り出してきて、さあこれは何なんだ、なぜ気になるのだとテーブルの上に置いて、2回目のドラマを見ながら検証する。
そして、はっ!と思い出したのだ。
わたしの脳は時間というタンスの奥にしまってあった記憶をよっこらどっこいしょと持ち出してきてくれて、ほらよって言いながら教えてくれたのだ。
たとえばね、たとえばその時、一緒に行った友達(同い年)が隣に居てくれて同じものを見ていたらきっとその感動の大きさが分かって涙を流しながら共有してくれたんじゃないかって思うくらいの衝撃だった。
わかるかな、わかんねえだろうな。(←これ昭和に流行ったワンフレーズ。調べてみてね。)
コロナのせいだけじゃなくて、以前のようにあちこち出歩くことがなくなった今思うんだけれど、今日何々をしました何処そこへ行きました、っていうナウな話しはほぼ書けないけどババアなわたしの脳はまだ色々の記憶を残していてくれて、それだけでもこうやって短い話ができるってほんとなんだかとってもありがたい。