GELATIN vol.002

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古いカメラやトイカメラで撮ってきた写真はピントがずれていたり露出が合っていなかったりと見事なヘッポコ具合。
でも、忘れてしまいそうな忘れたくなようないっそ忘れてましたしまいたい、そんな胃の裏側に棲みついているような郷愁を感じる事がある。
フィルムでのこしてきた写真でも、もちろんデジタルのチカラを借りなくては自分には記すこともできないのだが、それでも私の中の、私のアルバムの中のノスタルジアを残しておきたい。

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少しだけ知っている街で迷子になりながら長いながい散歩をすることが好きだった頃があってその時はその場所が上野だった。
桜の季節だったのかは憶えていないのだが広い公園を歩いたり池を眺めてみたり西郷さんの銅像を見上げたり。
カメラも持っていなくスマホも世に出る前で、ただ意味もなくとにかく歩いている疲れたら甘いコーヒーを飲みながらベンチで休んだ。
そこからどうやって歩いたのかはまったく憶えていないのだが古い小さな映画館の前にわたしは居た。
絵に描いたような古い映画館で、この辺りであれば上映してしてるのは成人向けの映画なのかと思って斜めの視線で張り出してあるものを見たのだがそれはいやらしい映画ではなかった。
それは懐かしい感じのする水色のポスターでそこに写ってる人たちはなにやら体操をしていてみんな眼鏡をかけているのだった。
背景は海だ。水色の海。白い砂。でも水着姿ではない。
古い券売所で古い感じのお姉さんからチケットを買って古い廊下を歩き古い感じのおじさんにチケットを切ってもらい、古いドアを開けて中に入った。
椅子だってもちろん古い。

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そしておどろいたことにお客さんときたら10人もいない。
昼間の昼間、暇を持ちあわせているひとたちは違う使い方をしているのだ。
優しく始まって優しく終わるお話がとても好きだと思った。
登場するひとの服や宿のシーツや樹々や草、そんなひとつひとつが清潔で風を感じるここち良さだった。
一緒の時間にその場所でその映画を観た他の人たちはどうだったのかは知らないけれどわたしはその映画をひどく気に入り、そしてその場所から『たそがれる』というという言葉を深く抱いて陽が落ちかけた道を歩いて駅へと向かった。
黄昏れは夕暮れと同じ意味で、黄昏るは、ひとりになって彼方の方を見てものを思うさまなのだろうなと勝手に解釈をし、夕暮れの電車の窓から眺める東京の街はなんて綺麗で寂しいのだろうとセンチメンタル全開だった。
とくに何かあったわけではないのだけれど。

海で撮った写真を見返していて思い出した黄昏の記憶。

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